2010年04月19日
第6条 仕事に使はれて人に使はれるな
愉快に働く10か条
「第6条 仕事に使はれて人に使はれるな」
私が初めて仕事をしたのは、
クラブ活動も卒業し、大学も決まった冬休みのことでした。
きっかけは、忘れましたが
京都駅観光デパート(現CUBE)の甘党の店で、バイトを始めました。
最初の頃は、言われたことだけをして、あとはぼっーと立っていることが多かったと思います。
そして、少し慣れてくると教えられたことだけをしていました。
教えられたことでも、他の誰かがしていると
手伝ったり、代わってすることもありませんでした。
お店を辞めるときに言われた
「返事だけよかったのを覚えておくよ」という
言葉だけが今でも心に残っています。
そして、大学に入った、最初の夏休み
今度は、新都ホテルの「四川」という中華料理屋で働きました。
ここでも、教えられたことしかしない。
それどころか、要領を覚え
サボることや、口ごたえをすることまで覚えて
タチが悪い。
今から思えば、恥ずかしい限りです。
でも、バイトは楽しかったんです。
何が楽しかったかと言うと
空いている時間に同じバイト仲間と
ペラペラとおしゃべりしたり
終わってから遊びに行ったり
まかないをお腹いっぱい食べさせてもらったり。
では、これが藤原銀次郎翁のおっしゃる「愉快に働く」ということなのか?
間違いなく違います。
僕が楽しいと感じてたことは、
遊びで得られる楽しさです。
決して、仕事で得られる楽しさではありません。
それでも、僕は仕事をしていると思っていましたが
それは、ただ、言われたこと、教えられたこと、お客様のいわれた事を
まるで、言葉のわかるロボットのようにこなしている作業でした。
仕事とは、自らが考えて、周りのスタッフと協力し、
お客様に喜ばれ具体的な成果をつくり、会社や世の中に貢献している」と実感し
そして、その過程で、自らが成長できたと実感できたときに楽しくなってくると
僕は、思います。
「人に使われるな」とは
「上司やお客様、同業者様などの他人から指示されて動く」
指示待ち人間ではダメだとおっしゃっているのです。
「仕事に使はれて人に使はれるな」とは
「他人に依存せず、自らが、主体的に、考え行動し、具体的な成果をつくること」
だと僕は解釈しました。
「第6条 仕事に使はれて人に使はれるな」
私が初めて仕事をしたのは、
クラブ活動も卒業し、大学も決まった冬休みのことでした。
きっかけは、忘れましたが
京都駅観光デパート(現CUBE)の甘党の店で、バイトを始めました。
最初の頃は、言われたことだけをして、あとはぼっーと立っていることが多かったと思います。
そして、少し慣れてくると教えられたことだけをしていました。
教えられたことでも、他の誰かがしていると
手伝ったり、代わってすることもありませんでした。
お店を辞めるときに言われた
「返事だけよかったのを覚えておくよ」という
言葉だけが今でも心に残っています。
そして、大学に入った、最初の夏休み
今度は、新都ホテルの「四川」という中華料理屋で働きました。
ここでも、教えられたことしかしない。
それどころか、要領を覚え
サボることや、口ごたえをすることまで覚えて
タチが悪い。
今から思えば、恥ずかしい限りです。
でも、バイトは楽しかったんです。
何が楽しかったかと言うと
空いている時間に同じバイト仲間と
ペラペラとおしゃべりしたり
終わってから遊びに行ったり
まかないをお腹いっぱい食べさせてもらったり。
では、これが藤原銀次郎翁のおっしゃる「愉快に働く」ということなのか?
間違いなく違います。
僕が楽しいと感じてたことは、
遊びで得られる楽しさです。
決して、仕事で得られる楽しさではありません。
それでも、僕は仕事をしていると思っていましたが
それは、ただ、言われたこと、教えられたこと、お客様のいわれた事を
まるで、言葉のわかるロボットのようにこなしている作業でした。
仕事とは、自らが考えて、周りのスタッフと協力し、
お客様に喜ばれ具体的な成果をつくり、会社や世の中に貢献している」と実感し
そして、その過程で、自らが成長できたと実感できたときに楽しくなってくると
僕は、思います。
「人に使われるな」とは
「上司やお客様、同業者様などの他人から指示されて動く」
指示待ち人間ではダメだとおっしゃっているのです。
「仕事に使はれて人に使はれるな」とは
「他人に依存せず、自らが、主体的に、考え行動し、具体的な成果をつくること」
だと僕は解釈しました。