2007年11月29日
横断幕を作ってみました

今日は、ご予約いただいた28名のお客様の宴会の目的は、送別会でした!
何か、その人のためにしてあげられることが、ないかなぁと考えました!
といってあんまりお金はかけられないしなぁ・・・・
そこで、思いついたのが、横断幕でした。
これなら、一文字1枚の印刷代(2.5円)だけ!
なんてない試みでしたが、やってみてよかったと思いました!
お客様は、どう捉えられたかは、わかりませんが、自分ではとても満足です。
そして、いつもの通り、ケーキを用意し、お客様もいくつもの花を用意されていて、
それぞれを贈呈された時は、感動もんでした。
もちろん、今回送られた方は、涙を流され喜んでいられました!
こういう時は、私もとてもうれしい気持ちになります。
これからも、こんな演出をしていきたいと思います。
Posted by どんこい at
08:01
│Comments(2)
2007年11月29日
幸せになる方法
誰もが、幸せになりたいと願い、生きていると思います。
その幸せの実現に向かって、苦しいことがあっても、がんばっています。
では、幸せってなんでしょう?
お金持ちなら幸せ?
いい車に乗れれば幸せ?
おいしい料理が食べられれば幸せ?
子供が学校でいい成績をとれば、幸せ?
家族で海外旅行にいけば、幸せ?
もちろん、人によって幸せの定義は、様々でしょう。
夢や達成したいことも違うでしょう?
でも、一度海外旅行に行けば、今度はもっと遠くへとか、いいホテルでとか、長く滞在したいとか
周りの人と比較したりして、また次の夢や目標がでてきます。
また、逆に一度自分の子供がいい成績をとれば、次に悪い成績をとれば、落胆することでしょう。
いえいえ、私は、贅沢はいいませんが、せめて人並みの生活をして、人並みに結婚をして子供を設けて、人並みに遊んで・・・・そんな大層なことは言いませんが、せめて人並みには・・・・
でも、その人並にということ自体がそれも一つの欲であると思うようになりました。
今、自分の手にしていないものを望むことは、すべて欲だと・・・
つまり、人間の欲にはキリがない。まるでゴールがないマラソンを走っているように!
喉が渇いたからと言って、塩水を飲んでいるようなものではないのかと思います。
豊臣秀吉は、貧乏な農家に生まれて天下を取り、贅沢三昧の生活をして、
権力も、お金もすべて手にいれました。
しかし、彼は死ぬ間際に「虚しい人生だった」と言っています。
幸せであるか不幸であるかは、すべて自分の心が決めます。
TVや雑誌、インターネット、周りの人たちと比較しながら・・・・
そういう風に考えると、私は、
無欲=幸せ
ではないかと最近は考えています。
つまり、ありのままの現実を受け止め、その事実に感謝をする。
きれいな景色を見れば、もっときれいな景色を見たいと思わず、
見れたことに感謝をし、満足する。
欲をもった時点で、いつまでもそれが達成できないとき、夢が破れたときに自分は不幸だと感じる。
だから、それ以上の欲は持たない。
もちろん、夢や欲があるから、人々は成長し、様々なものが作り出され、世の中はどんどん便利になっていきます。
快楽もより、大きくなっていきます。
しかし、それ以上を求めていくならば、そこに満足や幸せはないと最近考えています。
出家する人は、家族も持たず、贅沢をすることもなく、ただただ、仏に仕えると聞きます。
私たちの仕事も、お客様のためや、地域の人たち、世の中のために、自分のできることを
無欲で行うことで、自分が生かされている恩返しになるのでは、ないでしょうか?
人間は、一人では生きていけません。
水道をひねれば、当り前のように出る水も、だれかのおかげで、私たちは飲めるわけです。
でも、みなさんどうでしょう?
どこかに行って、水道から出てきた水をコップにいれて、出されたら?
「えっ、水?」「自分ってそんなに歓迎されていないの?」と考えませんか?
僕は、間違いなくそう考えていました。
コーヒーとは言わずとも、せめてお茶ぐらいと・・・・
ですから、私は、
幸せ=無欲になること
と思うようになったのです。
あくまで、私個人の考えです。
その幸せの実現に向かって、苦しいことがあっても、がんばっています。
では、幸せってなんでしょう?
お金持ちなら幸せ?
いい車に乗れれば幸せ?
おいしい料理が食べられれば幸せ?
子供が学校でいい成績をとれば、幸せ?
家族で海外旅行にいけば、幸せ?
もちろん、人によって幸せの定義は、様々でしょう。
夢や達成したいことも違うでしょう?
でも、一度海外旅行に行けば、今度はもっと遠くへとか、いいホテルでとか、長く滞在したいとか
周りの人と比較したりして、また次の夢や目標がでてきます。
また、逆に一度自分の子供がいい成績をとれば、次に悪い成績をとれば、落胆することでしょう。
いえいえ、私は、贅沢はいいませんが、せめて人並みの生活をして、人並みに結婚をして子供を設けて、人並みに遊んで・・・・そんな大層なことは言いませんが、せめて人並みには・・・・
でも、その人並にということ自体がそれも一つの欲であると思うようになりました。
今、自分の手にしていないものを望むことは、すべて欲だと・・・
つまり、人間の欲にはキリがない。まるでゴールがないマラソンを走っているように!
喉が渇いたからと言って、塩水を飲んでいるようなものではないのかと思います。
豊臣秀吉は、貧乏な農家に生まれて天下を取り、贅沢三昧の生活をして、
権力も、お金もすべて手にいれました。
しかし、彼は死ぬ間際に「虚しい人生だった」と言っています。
幸せであるか不幸であるかは、すべて自分の心が決めます。
TVや雑誌、インターネット、周りの人たちと比較しながら・・・・
そういう風に考えると、私は、
無欲=幸せ
ではないかと最近は考えています。
つまり、ありのままの現実を受け止め、その事実に感謝をする。
きれいな景色を見れば、もっときれいな景色を見たいと思わず、
見れたことに感謝をし、満足する。
欲をもった時点で、いつまでもそれが達成できないとき、夢が破れたときに自分は不幸だと感じる。
だから、それ以上の欲は持たない。
もちろん、夢や欲があるから、人々は成長し、様々なものが作り出され、世の中はどんどん便利になっていきます。
快楽もより、大きくなっていきます。
しかし、それ以上を求めていくならば、そこに満足や幸せはないと最近考えています。
出家する人は、家族も持たず、贅沢をすることもなく、ただただ、仏に仕えると聞きます。
私たちの仕事も、お客様のためや、地域の人たち、世の中のために、自分のできることを
無欲で行うことで、自分が生かされている恩返しになるのでは、ないでしょうか?
人間は、一人では生きていけません。
水道をひねれば、当り前のように出る水も、だれかのおかげで、私たちは飲めるわけです。
でも、みなさんどうでしょう?
どこかに行って、水道から出てきた水をコップにいれて、出されたら?
「えっ、水?」「自分ってそんなに歓迎されていないの?」と考えませんか?
僕は、間違いなくそう考えていました。
コーヒーとは言わずとも、せめてお茶ぐらいと・・・・
ですから、私は、
幸せ=無欲になること
と思うようになったのです。
あくまで、私個人の考えです。
Posted by どんこい at
04:11
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