2010年11月02日
人皆心あり
聖徳太子の「17条憲法」
その10
十に曰く、こころの忿(いかり)を絶ち、瞋(いかり)を棄て、人の違うを怒らざれ。人皆心あり。
これは、自分の意見や考え方が一番正しいわけではないということが書かれています。
人は、意見が食い違ったり、自分と違う行動をとる人を見ると、怒ったり、相手を攻撃したり
非難したりします。
しかし、人間は、みんな、生まれた環境や育った環境もも違えば、今おかれている立場も
また、性別や身体や年齢も経験も皆違う。
したがって考え方や生き方も違って当然です。
僕は、出来るだけ相手の話を聞くように心がけています。
話をよく聞くと、最終的には
「この人は、僕とは違うんだ」という事がわかります。
違うと分って、それを自分のスタイルに合わせようとする。
つまり、相手を変えようとすると当然、人間関係にひずみが生まれます。
大げさに言うと、生きるということは、そういう自分と違う人と
うまく協力していくことではないかと思います。
自分と違う人、それはこれも大げさに言うと
親、兄弟も含めてすべての人です。
そうやって、色んな考え方や生き方の違う人と協力しあえるようになることが
自分の人間の幅や奥深さを作っていくものではないかと思います。
生きるとは、そういうことであると
聖徳太子様はおっしゃっているのではないかと思いました。
その10
十に曰く、こころの忿(いかり)を絶ち、瞋(いかり)を棄て、人の違うを怒らざれ。人皆心あり。
これは、自分の意見や考え方が一番正しいわけではないということが書かれています。
人は、意見が食い違ったり、自分と違う行動をとる人を見ると、怒ったり、相手を攻撃したり
非難したりします。
しかし、人間は、みんな、生まれた環境や育った環境もも違えば、今おかれている立場も
また、性別や身体や年齢も経験も皆違う。
したがって考え方や生き方も違って当然です。
僕は、出来るだけ相手の話を聞くように心がけています。
話をよく聞くと、最終的には
「この人は、僕とは違うんだ」という事がわかります。
違うと分って、それを自分のスタイルに合わせようとする。
つまり、相手を変えようとすると当然、人間関係にひずみが生まれます。
大げさに言うと、生きるということは、そういう自分と違う人と
うまく協力していくことではないかと思います。
自分と違う人、それはこれも大げさに言うと
親、兄弟も含めてすべての人です。
そうやって、色んな考え方や生き方の違う人と協力しあえるようになることが
自分の人間の幅や奥深さを作っていくものではないかと思います。
生きるとは、そういうことであると
聖徳太子様はおっしゃっているのではないかと思いました。