2007年10月02日
捨欲即大欲

修身教授録―現代に甦る人間学の要諦 (致知選書)
先日のブログでどうも、もやもやしていたことがあって
それは、
欲があるからこそ、人は、目標を持ち、成長するし、困難にも立ち向かっていける。
つまり、欲を捨てるということは、悪いことなのか?
では、ナイチンゲールは、自分の欲を捨てたけれども、大成をなし、世の中に貢献をされた。
とか、いろいろ考えていました。
僕は、去年より、いつも本を持ち歩き、喫茶店やレストランで注文を待っているときや、
銀行で待っているときなどに、少し本を開きます。
そうすると、昨日と今日の2日間で、森信三さんの「修身教授録」という言葉がとても、気になりました。
そして、あまりにも気になるので、家に帰り、本棚からこの「修身教授録」を開いてみると、
パッと開いたページが、第12講の「捨欲即大欲」のページでした。
そして、以前読んだときに、アンダーラインを引いていた言葉が下記です。
人間が真に欲を捨てるということは、実は自己を打ち超えた大欲の立場にたつということです。すなわち自分一身の欲を満足させるのではなくて、天下の人々の欲を思いやり、できることなら、その人々の欲をも満たしてやろうということであります。
とありました。
多分、一度二度この本を読んだ私にはこの森信三さんが真に言われたいことを理解出来ないとは思いますが、私は以下のように解釈しました。
自分の欲を捨てたときに、初めて自分が何のためにこの世に生まれ、何をすべきかということを考えられるようになる。
自分の欲を表に現しているうちは、本当に自分がしたいこと、すべきことは見つからないと。
前にも書いたかもしれませんが、最近は、何か悩んでいて、本を開くと、パッとそのページが開くのです。
なんとも、不思議なことがあるものです。
みなさんは、この「捨欲即大欲」をどのように解釈されますか?