2008年09月03日
閉店のお知らせ。

今日は、串どんとこいは定休日でお休みです。
実は、もうひとつ御坊市で小僧寿しを経営させて頂いておりましたが、
8月31日をもって、閉店させて頂くことになりました。
地域の皆様には、長い間、大変お世話になり、本当にありがとうございました。
感謝。
今日は、御坊のお店の後片付けをしていました。
まだ閉店させて頂いたことを、知らず来店していただいたお客様や今まで疎遠になっていた業者様とお会いすると、やはり寂しいものです。
人との出会いとご縁に感謝です。
2008年02月09日
寂しい日
毎日、お魚や野菜を買っていると、やっぱりその日その日で、食べてもらいたいものが違います。
本当は、全部がそうでなくてはならないのでしょうけど、
「これはどうしても食べてもらいたいなぁ」
「これなら、本当に喜んでもらえるだろうなぁ」って思いながら、
ワクワク・ドキドキしながら営業を迎えます。
うちの店では、カウンターのお客様が少ないので、
営業が始まったら、その商品が注文されるかどうかは、お客様とホールスタッフさんにお任せするしかありません。
1週間か10日ぐらいまえだったかなぁ。今日は、自信たっぷりの食材を買えた日が、ありました。
しかし、他のポジションの料理は注文がはいるのですが、僕の担当の所は、殆ど入らない日が
ありました。
時間を経つごとに、イライラしたような焦りを感じます。
その時に、ふと思ったことがあります。
「なぜ、僕はこんなにイライラしているのだろうか?このまま売れ残って、ロスになることや、自分が商品の仕入れを失敗したことにイライラしているのだろうか?」
『「しかし、今日は刺身ででなくても、酢で〆るとか、味噌漬けにするとかで、完全にロスにはならないし・・・」とそうではないなぁ?」』
さらに、自分の感情を整理して、観察してみると、やはりそれは、「こんなに今日はおいしいものがあるのに、食べてもらえない」虚しさから来るイライラと、そして、あまり、自分の所に注文がこないことで、
自分の無力感というか、自分は、お店にもお客様にも役に立っていないなぁっていう感情からくる寂しい気持ちからきていることが、わかりました。
つまり、自分が誰からも必要とされていなんじゃないかなぁという不安からのイライラでした。
ちょうど、車の渋滞に巻き込まれて、このままだと約束の時間に到着しないかもしれないという不安から来るイライラに似ているなぁっと思いました。
やはり、仕事の楽しさは、これを食べてもらいたいなぁ。お客様に喜んでもらいたいという気持ちが届いて、そして本当にお客様に「おいしい!」って喜んでもらって、はじめて、今日はいい仕事をしたなぁっていう気になれるんですね!
こういう日があった時は、本当に気持ちがよくて、充実感でいっぱいになります。
今日もいい1日になるようにがんばろう
当たり前ですが、魚は出来るだけ早く食べてもらった方が、おいしいし、時間がたてば、だんだん最高の状態でなくなる。
そして、もしこのまま出なかったら、ロスになってしまうなぁ
本当は、全部がそうでなくてはならないのでしょうけど、
「これはどうしても食べてもらいたいなぁ」
「これなら、本当に喜んでもらえるだろうなぁ」って思いながら、
ワクワク・ドキドキしながら営業を迎えます。
うちの店では、カウンターのお客様が少ないので、
営業が始まったら、その商品が注文されるかどうかは、お客様とホールスタッフさんにお任せするしかありません。
1週間か10日ぐらいまえだったかなぁ。今日は、自信たっぷりの食材を買えた日が、ありました。
しかし、他のポジションの料理は注文がはいるのですが、僕の担当の所は、殆ど入らない日が
ありました。
時間を経つごとに、イライラしたような焦りを感じます。
その時に、ふと思ったことがあります。
「なぜ、僕はこんなにイライラしているのだろうか?このまま売れ残って、ロスになることや、自分が商品の仕入れを失敗したことにイライラしているのだろうか?」
『「しかし、今日は刺身ででなくても、酢で〆るとか、味噌漬けにするとかで、完全にロスにはならないし・・・」とそうではないなぁ?」』
さらに、自分の感情を整理して、観察してみると、やはりそれは、「こんなに今日はおいしいものがあるのに、食べてもらえない」虚しさから来るイライラと、そして、あまり、自分の所に注文がこないことで、
自分の無力感というか、自分は、お店にもお客様にも役に立っていないなぁっていう感情からくる寂しい気持ちからきていることが、わかりました。
つまり、自分が誰からも必要とされていなんじゃないかなぁという不安からのイライラでした。
ちょうど、車の渋滞に巻き込まれて、このままだと約束の時間に到着しないかもしれないという不安から来るイライラに似ているなぁっと思いました。
やはり、仕事の楽しさは、これを食べてもらいたいなぁ。お客様に喜んでもらいたいという気持ちが届いて、そして本当にお客様に「おいしい!」って喜んでもらって、はじめて、今日はいい仕事をしたなぁっていう気になれるんですね!
こういう日があった時は、本当に気持ちがよくて、充実感でいっぱいになります。
今日もいい1日になるようにがんばろう

当たり前ですが、魚は出来るだけ早く食べてもらった方が、おいしいし、時間がたてば、だんだん最高の状態でなくなる。
そして、もしこのまま出なかったら、ロスになってしまうなぁ
2007年09月02日
淋しくなりました。


昨日は、スタッフの一人が退職されました。
当店は年中無休なので送別会がなかなかできないので、営業終了後に、お花を贈ったりします。
昨日、辞められた方は、当社に4年8か月いらっしゃいました。
途中引っ越しされて、通勤時間片道1時間15分を2年間ぐらい続けてもらったかなぁ。
誰が、辞めても寂しいものですが、長く働いてもらった人ほど、やっぱりさびしいですね。
彼女は、お店のスタッフとしてだけでなく、事務員さんとしても、働いて頂いてたので、
会社の中では、いわば、僕の女房役みたいな感じだったので、寂しさとともに不安もいっぱいあります。
しかし、一つの出逢いが人を成長させてくれるように、別離もまた、成長させてくれると思います。
世の中、すべて偶然ではなく、必然で、自分に起こる出来事は、常に自分の人生が好転していくために起こることであると信じています。
また、大変になりそうだけど、人の何倍も働いて、がんばります。
そして、帰られた後に、電話で最高の誉め言葉を頂きました。
「この店で働いて、いろんなことを学ばせて頂きました。」と
仕事は、自己の成長をさせる場でなくては、ならないと思っています。
当社で働いて頂いたことが、これからのそれぞれの人生にとって、プラスになるような、そして技術や知識だけでなく人間的な成長を図れるそんな会社にしたいという想いがあります。
僕自身が、学生時代アルバイトした経験が、その後の人生にとても役にたっているからです。
そんな気持ちとは裏腹に現在はなんの教育システムもない。またこんな至らない私のもとで、働いてもらって、このことは、いつもジレンマを感じています。
それだけに、その言葉は、とても嬉しい、僕にとっては、最高の誉め言葉を頂きました。
うーん。でも、うちのお店結構、出戻りさん多いから、ちょっとまた戻ってくれることを期待しています

2007年08月19日
生きるとは・・・
山田淳二さんのブログを受けて、
生きていると、死にたいと思うときは、誰しもあると思います。
私も、何度もあります。
女に振られたとき。仕事で失敗した時。お金に困ったとき。孤独感を感じてどうしようもなく、寂しい気持ちになった時。・・・・etc
しかし、その最後の選択をどちらを選ぶかは、自分の命の意味について、考えたことがあるかどうかでは、ないでしょうか?
どんな人生を歩んでも、必ず、イバラの道もあるはずです。
しかし、それは、その人にとって、乗り越えられる障害や問題しか起きないと言われています。
すべて、自分の命の意味を全うしていくための、成長への試練だと。
でも、その試練に敗れても打ち勝っても、どっちでもいいと思います。
大切なことは、そこにチャレンジするかどうかだけだと。
私はそう信じます。
芳村思風さんは、以下のように述べていられます。
日本の良さは、本来「利」を追い求めて、競争する文化ではなく、「仁」を持って、共に助け合い、力を合わせて、成り立ってきた文化であると、思います。
元来の狩猟民族と農耕民族の違いからでしょうか?
だからこそ、互いに思いやり、力を合わせて、地域や社会をよくしていくために、仕事をする。
その結果としての「利」を得ていくのが、日本人の姿では、ないでしょうか?
だから、このブログもみんなで力を合わせて、和歌山のいいところをもっともっとアピールして
いい街ができたら、素晴らしいなぁって思います。
【なんの根拠もない、どんこいの一人言でした】
生きていると、死にたいと思うときは、誰しもあると思います。
私も、何度もあります。
女に振られたとき。仕事で失敗した時。お金に困ったとき。孤独感を感じてどうしようもなく、寂しい気持ちになった時。・・・・etc
しかし、その最後の選択をどちらを選ぶかは、自分の命の意味について、考えたことがあるかどうかでは、ないでしょうか?
どんな人生を歩んでも、必ず、イバラの道もあるはずです。
しかし、それは、その人にとって、乗り越えられる障害や問題しか起きないと言われています。
すべて、自分の命の意味を全うしていくための、成長への試練だと。
でも、その試練に敗れても打ち勝っても、どっちでもいいと思います。
大切なことは、そこにチャレンジするかどうかだけだと。
私はそう信じます。
芳村思風さんは、以下のように述べていられます。
●実現するべき自己の発見
人間において生きるとは、ただ単に生き永らえることではない。
人間において生きるとは、
「何の為にこの命を使うか」、「この命をどう生かすか」ということである。
命を生かすとは、何かに命をかけるということである。
だから、生きるとは、命をかけるということだ。
命の最高の喜びは、
命をかけても惜しく無い程の対象と出会うことにある。
その時こそ、命は最も充実した生の喜びを味わい、
激しくも、美しく燃え上がるのである。
君は、何に命をかけるか。
君は、何の為になら死ぬことが出来るか。
この問いに答えることが、生きるということであり、
この問いに答えることが、人生である。
●助け合って生きるための学問
誰も、この苦しみを、気持ちを、わかってくれない。
誰も俺の事を本当にはわかってくれない。
この思いは、誰の胸にも、死ぬまで付きまとうものである。
人間は、本質的に、根元的に、
誰でも、皆、さみしいのである。孤独なのである。
しかし、また、人間は、
この誰にも理解されない心を抱えて
人と共に生きて行かなければならない存在である。
そこで、人間は、人と共に生きる為に
人に語りかけ、話し合い、理解し合えるように努力するのである。
いや、努力しなければならないのである。
なぜなら、みんな同じ人間であるからだ。
この、孤独である人間が互いに理解し合おうとし、
その為に、全人類に共通する真実を求め、
それを手がかりに助け合って生きようとする努力、
これこそが他ならぬ哲学なのである。
主義主張で対立する事が哲学なのではない。
日本の良さは、本来「利」を追い求めて、競争する文化ではなく、「仁」を持って、共に助け合い、力を合わせて、成り立ってきた文化であると、思います。
元来の狩猟民族と農耕民族の違いからでしょうか?
だからこそ、互いに思いやり、力を合わせて、地域や社会をよくしていくために、仕事をする。
その結果としての「利」を得ていくのが、日本人の姿では、ないでしょうか?
だから、このブログもみんなで力を合わせて、和歌山のいいところをもっともっとアピールして
いい街ができたら、素晴らしいなぁって思います。
【なんの根拠もない、どんこいの一人言でした】