2012年01月30日
最後の時には
昨日、私の大好きな先輩の1人が、この世から旅立たれたという悲しい知らせを聞いた。
この先輩には、商工会議所青年部を通じて、いろんな事を教えて頂いた。
先週には、私の叔母が亡くなった。
最後の対面の時に、湧き上がる感情は、悲しみとそしてその人に対する感謝の気持ちでした。
そして、その感謝を生きている間に伝えられなかった後悔の念です。
どちらの方も、随分ご無沙汰していました。
なぜこんなにいい人がと悲しみに耐えません。
こんな時、「死」の意味について考えますが、答えは見つかりません。
論語に次のような言葉があります。
季路(きろ)、鬼神(きしん)に事(つか)えん事を問う。
子曰わく、未(いま)だ人に事うること能(あた)わず、焉(いずく)んぞ能(よ)く鬼(き)に事えん。
曰わく、敢(あ)えて死を問う。
曰わく、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。
(訳)
季路(きろ)が死者の魂に対してどうやって仕えたら良いか尋ねました。
孔子は、
「まだ人に仕える事さえ十分に出来ないのに、どうして上手く死者の魂に仕える事ができようか。」
と答えられました。
そこで季路は死について尋ねました。
孔子は、
「まだ生について十分に理解していないのに、どうして死を理解できるだろうか。」
と答えられました。
また、論語の中に、次のような有名な言葉がある。
「死生命有り、富貴天に在り。」
人間の寿命や富貴は天のみ知ることであるという意味だそうです。
いつ人間は、最後の時を迎えるかもしれない。
だから、
どんな人にも「感謝」の心で接したい。
どんな人にも優しくありたい。
どんな人にも笑顔で会いたい。
そして、少しでもいいから、ご縁のある人と触れ合える機会を積極的につくりたい。
一方、自分自身については、
毎日を精一杯いきているつもりでも
じっくりと考えると、無駄な時間を過ごしていることが多いように思う。
限りある命なのだから、
一日一日を無駄にせず、精一杯生きていこう!
昨日よりも今日、今日よりも明日と日々自分を修養し高めていこう!
そして、自分も感謝される人になれるように生きていこう。
こんなことを昨日は、営業終了後にひとりで考えていました。
この先輩には、商工会議所青年部を通じて、いろんな事を教えて頂いた。
先週には、私の叔母が亡くなった。
最後の対面の時に、湧き上がる感情は、悲しみとそしてその人に対する感謝の気持ちでした。
そして、その感謝を生きている間に伝えられなかった後悔の念です。
どちらの方も、随分ご無沙汰していました。
なぜこんなにいい人がと悲しみに耐えません。
こんな時、「死」の意味について考えますが、答えは見つかりません。
論語に次のような言葉があります。
季路(きろ)、鬼神(きしん)に事(つか)えん事を問う。
子曰わく、未(いま)だ人に事うること能(あた)わず、焉(いずく)んぞ能(よ)く鬼(き)に事えん。
曰わく、敢(あ)えて死を問う。
曰わく、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。
(訳)
季路(きろ)が死者の魂に対してどうやって仕えたら良いか尋ねました。
孔子は、
「まだ人に仕える事さえ十分に出来ないのに、どうして上手く死者の魂に仕える事ができようか。」
と答えられました。
そこで季路は死について尋ねました。
孔子は、
「まだ生について十分に理解していないのに、どうして死を理解できるだろうか。」
と答えられました。
また、論語の中に、次のような有名な言葉がある。
「死生命有り、富貴天に在り。」
人間の寿命や富貴は天のみ知ることであるという意味だそうです。
いつ人間は、最後の時を迎えるかもしれない。
だから、
どんな人にも「感謝」の心で接したい。
どんな人にも優しくありたい。
どんな人にも笑顔で会いたい。
そして、少しでもいいから、ご縁のある人と触れ合える機会を積極的につくりたい。
一方、自分自身については、
毎日を精一杯いきているつもりでも
じっくりと考えると、無駄な時間を過ごしていることが多いように思う。
限りある命なのだから、
一日一日を無駄にせず、精一杯生きていこう!
昨日よりも今日、今日よりも明日と日々自分を修養し高めていこう!
そして、自分も感謝される人になれるように生きていこう。
こんなことを昨日は、営業終了後にひとりで考えていました。